ある女の存在証明
Identificazione di una donna 1982年 伊・仏 ミケランジェロ・アントニオーニ監督
≠女は女である。
★★
行き止まりの螺旋階段とか、馬の尻とか、面白いイメージは散発していた。けれど、映画のモードは、倦怠を通り越し、疲弊の色を帯びたものだった。いったいぜんたい女優に対する興味は衰えたように感じられた。
もし海や森に一人でいたらどうする
黙って眺めるだろ
だが会話は成立する
話しかけ 返事がくる
まるで誰かがいるように
君とは常に語り合った
いろんなことについて何度も議論を重ねてきた
その間に世界は変わり
僕らの議論が通用しなくなった
ハングライダーの魅力を?
――知らん
だが想像はできる
ああいう感動を女と共有したいのに
しゃべらなきゃ関係は築けない
――沈黙は重いからな
僕は静かにしていたい
自然の力にいるような関係を持ちたいんだ
映画がかつてのような普遍性を失った、というよりは、「普遍性」を獲得してしまったように思われる。たんにパーソナルであったものが、エゴイスティックで高踏的なものとみなされるようになった。個物は、女は、存在証明を帯びるようになった(≠女は女である)。
個人的に、もし老いてますますみずみずしくなる彼の眼というのを見られたら、なんてことも思う。それには、問答無用の眼というものがありうるかという問いがいる。彼にとってビデオカメラ(の時代)は、あまりにもすんなりとあるがままを撮れてしまう装置だったように思う。
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