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コンタクト

Contact 1997年 米 ロバート・ゼメキス監督

声を聞く。


★★★☆

声を聞く。無線機はairから声を拾う装置。「どう応答したらいい?」「普通でいいんだよ」。

「1000マイルを超えた。最長記録だ」。声を聞くとは、遠くにも場-所があるという感覚。遠くに誰かがい-るという感覚。カルフォルニアの声も聞けるかな? 頑張ったら聞けるかな。中国は? 外挿していく。宇宙人は? 天国の母親の声は?

特別な質問に一呼吸置いて答える。それは、とてもとても難しい。不可能だ、とは言わない。不可能であることの証明ができたわけではないから。つとめて科学の芽を摘まないように答える。けれど、口の重さに、蓋然性と可能性との避けがたい非連続面をうかがわせる。解答に代えて詩を。希望と遠大さの余韻を残して。


予算が削られた(?)というので車を飛ばす音が耳をつんざくのに、意の払われた音響効果を思う。音楽が全く使われていなかったかな、と思ったけれど、後で確認すると「きちんと」使われていた。導入の数分間の基調は効いている。

アンテナのもとで声を聞いたところが最高潮だろうか。張っていた線は迷走を始める。話が大きくなる。狂騒と狂信の群衆を目にして戸惑う。自身も、国防マターになり「敵対的では?」というのに、「友好性」と口にしてしまう。


ともかく遠くの場所への旅。一刹那の時空の感覚。小瓶に入れられ大海を漂うがごとく、上下左右、揺さぶられて浜に辿り着く。そこに父親一人というのは、苦しい。たんに原点に戻った、というようで。凡庸な欲求は、彼の隣に、あるいは彼の背後に脈をなして、いてもいいはずのものを惜しむ。

その後の展開をみると、おそらく聡明な作り手をしてそうなってしまう事情が分かる。待ち受けていたのは「耳を傾ける(てもらう)」という強力な周回軌道。「私の信じられる存在がいた」「私には信じてくれるパートナーがいる」……あの導入の、聞くということをめぐっていた映画の、着地点は、こんなものではなかったはず。


***

SFXというとき、宇宙船のシーンは、いわゆるできる人が、そのできるという部分を維持したまま詩的なことに挑んでいるような感があって(※)、個人的に、見ていてつらい部分があった。フラッシュバックのシーンでの、階段を駆け上がって鏡の戸棚を開けるシークエンスが頭に残る。幼年期の掛けちがえの感覚をよく表わしていて。(こういうSFXはとても好き)


※ゼメキスが、と総称してよいのかわからないけれど、たとえば、さきの群衆のシーンにしても、『マーズ・アタック』みたいのは自分(たち)がやればもっと広告代理店的細部を詰めて作れるよ、と言っているような感じがある。

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